設楽知昭

Tomoaki Shitara

設楽知昭(1955年~2021年)は、愛知県立芸術大学を退任後、ここ菱野団地で制作を続けました。画家が最後まで向き合い続けた長きに渡る制作の一部をご覧ください。また、画家と交流を持ち、親交を深めた秋庭史典氏に文章を寄せていただきました。

Art Space & Cafe Barrack

違うことをする

画家のお宅には、何度もお邪魔させていただきました。お部屋は、理由なくそこに置かれているものがなにひとつないという意味では整然とした、しかしだからこそ、そのすべてにきちんとした愛情が注がれている、温かみのある場所でした。

いろいろなことをうかがいました。印象的なことばもたくさんありました。いまひとつだけ思い出すとすれば、それは、違うことをすること、についてのお話になるでしょうか。うろ覚えですが、それは、こんな風でした。

模倣は同じことをする、つまり社会的適合の能力で、もちろんこれは重要。でももっと大事なのは、ズレの方。よく知らなかったり、勘違いしたりしていることから滲み出るその人なりの感じ方、といった素朴なズレもある。しかし、いつまでも素朴、ありのままでいるというわけにもいかない。みんなが同じことをしている、そのただなかでひとり、あえて違うことをする。みんながそうだと言っているときに、ただひとり、違うことをする[1]。そのズレが、社会に幅や新しさ[2]をもたらす・・・

たとえば、画家の作品には、「/」の両側が同じではないひとつの対(つい)、がよく現れます。それは、あちら/こちら、右/左、上/下、表/裏、過去/未来、夢/うつつ、あなた/わたし、などに関わるものです[3]。しかしその現れ方は、つねに変化してやみません。画面にその対が描かれていることもあれば、カンヴァスそのものにその対が仕組まれていることもあります。今回展示されている作品のなかにも、さまざまな対のかたちがみられます。それらはたしかに、違うことをする、その結果にほかならないものです。

しかし、みんながそうだと言っているときに、そうではないと言う、違うことをするのは、難しいことです。それでも画家は、そうした絵をかきつづけました。そのしなやかさは、どこからきていたのでしょうか。違おうとすることを容れられない社会のなかで、この問いは大きな意味を持つとわたしは思います。

40年ほど前、画家はこの幼稚園で、子どもたちに絵を教えていたといいます[4]。そのことは、初めて知りました。そこでどんな違うことをしていたのか、想像するだけで楽しくなります。また今回、園児の教育に特化された教室で、画家の作品がどんな違うことをすることになるのか、それも楽しみです。

秋庭史典/名古屋大学大学院 情報学研究科 教授


  1. 違うことをせずにはいられない、のだと思います。またここで言われている違うことをする、は、他人の注目や支持を集めるためにあえて逆のことを言うなどといったこととは別です。
  2. この「新しさ」には、新しい生き幅、も含まれているように思います。
  3. これらはとても馴染み深いくせに、少し考えるとよくわからなくなるものです。だからこそ、こだわられたのかもしれません。両側を行き来するしかけや、両側の二項を可能にする見えない前提についても作品にしていました。余談ですが、バラックの近藤さん・古畑さんに菱野団地をクルマで案内していただいたとき、あちらを走っているつもりがいつのまにかこちらにきてしまっている、中心にたどり着いたと思ったのにそこに入ることなく周縁に戻ってしまっている、見上げると、自分たちが走っている道の層のうえに、まったく違うロジックでつくられた道の層がもうひとつある、といった不思議な体験をしました。このときの感覚、もしかしたら画家の作品から得る感覚に似ているかもしれません。
  4. 画家自身は、生意気な園児だったと、昔うかがったことがあります。[参考]

[参考]
2013年12月3日の「新オオギリ」(画家主宰の座談会)で、秋庭が残していた記録から。
設楽:〔エピソード〕幼稚園くらいのとき、公園の絵をかいていた。ジャングルジムとかブランコとかシーソーとか。あと大きな鳥小屋があった。で、かげをかかなければならない、と思ったんですね。生意気な幼稚園児ですけど。ジャングルジムのかげはすごく困った。でも一所懸命かいたんですね。そのときから、絵ってのは難しいというか、めんどくさいしややこしいな、と思いながら・・・。で、かげ付きの公園の絵をかいたら幼稚園の園長先生がびっくりして、「これあなたがかいたの?ウソでしょ。ここにかいてみなさい。」て言うから、かいたんです。そうしたら、「じゃあ、あなたこれから、画用紙とクレヨンは欲しいだけあげるから、かきなさい」って。僕はクレヨンより粘土板が欲しい、って。彫刻家になりたかったのかな。これくらいの粘土板じゃ足りないんですね。粘土板と粘土たくさんほしい、と。で、親がずいぶん心配しました。かげをかくというので。きっと変な絵で、こどものかく絵ではなかったんでしょうね。たぶん、何か絵を見たんだと思う。かげのついている絵を。それで、すごい、かげをかかなければ、と思ったんでしょう。絵は絵を模倣するんですよ。何かを見て発見して絵にするというよりも。

設楽知昭

  • 1980年 愛知県立芸術大学大学院 美術研究科 修了
  • 2021年 絵の幸福(不忍画廊/東京)
  • 2020年 設楽知昭退任記念展(愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA·KURA/愛知)